反戦
2011年10月21日
10.21国際反戦デーにカダフィー大佐死亡

軍需工場の奉仕で学徒出陣しなくてすんだとか、自分たち女学生が作ってる飛行機なんか飛ぶわけがないと思ってた等。

モンキースパナやドリルレンチ、ペンチ、プライヤーなどはなんと呼んでいたのか。
私の母は女学校時代、ある家に赤紙を届けに行った事があると言っていました。
その家は部落差別の家でしたが、何もわからない母は大切なものだからと、大事に手渡したそうです。
するとその家の方達がみんな泣いて喜んだ。
赤紙が来るのがそんなにうれしいのかと聞くと、戦争に行くのはつらいが、差別の自分たちの家に、わざわざ町長の娘が届けにきてくれた、それがうれしくて泣いているのだと言ったそうです。

リビアにも平和が訪れる事を願います。