平和委員会

2011年04月01日

新宿に原発を2

東京に原発を若いころに平和委員会をやっていた先輩から、「こんな本が出たよ。」と紹介されたのが、「東京に原発を!」でした。

まともに読んじゃあいないのですが、初版が1981年で1999年まで再販が13版になっている、なんとロングセラーの本だったのです。

内容は原発が本当に安全ならば、東京で使う電気を何も福島や新潟の遠隔地から引っ張ってくる事は無い。

原発電気消費地の東京の中に作るのが一番効率が良い。

立地としては現在の都庁が建っている場所、新宿は地盤が強固で、浄水場の跡地でもあるので水も豊富。

条件的にも現実性のあるような話でした。

原発2結局新宿に原発は出来ませんでしたが、安全だなんて作る方だって思ってない。

でもそのために地方の僻地、過疎地の住民を犠牲にしていいのか、となるのですが結局は、そのとおりになったわけです。

この地震全てが、4月1日のエイプリルフールであって欲しいと思うのはバカ?

2009年08月07日

平和委員会の思い出

もも中川さんから桃をいただきました。

大きくて、おいしい桃でした。

いつもありがとうございます。


78年だったと思いますが、何かのきっかけで、平和映画会をやろうと言うことになり、押上の風呂屋の二階を借りたことがあります。真夏の風呂屋の二階は、もちろん冷房もなく、蒸し風呂状態でした。

映画のフイルムは、平和委員会と言うところから手配してもらったのですが、当時の平和運動と言うのは、年寄りの運動で、若い人は誰もいませんでした。

若い人たちが、平和運動に関心を持ってくれるなんてと、ジイチャン、バアチャンに大喜びされて、会場費のほかに蕎麦までおごってもらったと思います。

どんな映画だったのかも覚えていませんが、被爆を撮影した米軍のフィルムを買い取ろうという、「テンフィート運動」が起こり、全国的な盛り上がりを見せたのは、その後でした。

おこりじぞう広島の原爆アニメ 「おこりじぞう」 などができ、16ミリを持って、子供会の会場を回ってたのは、88年ごろでした。

90年の夢の島から出発した平和行進リレーのローテーションで、姫路城から岡山まで歩いたこともありました。このときもひどい日焼けをしました。
記事検索
月別