終戦
2011年08月14日
お盆、終戦の日に思い出す事
若い頃仕事上の上司だったHさんは、陸軍中野学校の出身でした。
これは旧陸軍のスパイ養成学校で、小野田少尉も同校の出身かと思われます。
スパイはだぶついた背広の脇の下に拳銃ホルダーを隠しており、捕まったときには銃をホルダーから抜かずに、そのまま脇の下から横の相手に発砲する。
中国上海で情報活動をしていたが、ある夜待ち伏せされた二人の敵に、両側から腕をつかまれたそうです。
しまったと思ったが逃げるために、掴まれたままの形で左の敵に向けて発砲、バスンという鈍い音、相手が手を離した隙に一目散で駆け出した。
後方で人の倒れる、ドサーーンという大きな音と悲鳴が聞こえたそうです。
たぶん敵は死んでいるだろう。逃げていなければこちらが殺されていた。
人が倒れる時には大きな音がする。それはいつまでも覚えているといっていました。
たぶんもう生きてはいないでしょうが、お元気ならば90歳過ぎでしょう。
写真は長崎です。
これは旧陸軍のスパイ養成学校で、小野田少尉も同校の出身かと思われます。
スパイはだぶついた背広の脇の下に拳銃ホルダーを隠しており、捕まったときには銃をホルダーから抜かずに、そのまま脇の下から横の相手に発砲する。
中国上海で情報活動をしていたが、ある夜待ち伏せされた二人の敵に、両側から腕をつかまれたそうです。
しまったと思ったが逃げるために、掴まれたままの形で左の敵に向けて発砲、バスンという鈍い音、相手が手を離した隙に一目散で駆け出した。
後方で人の倒れる、ドサーーンという大きな音と悲鳴が聞こえたそうです。
たぶん敵は死んでいるだろう。逃げていなければこちらが殺されていた。
人が倒れる時には大きな音がする。それはいつまでも覚えているといっていました。
たぶんもう生きてはいないでしょうが、お元気ならば90歳過ぎでしょう。
写真は長崎です。
2010年08月15日
終戦記念日に思うこと2
誰かは忘れましたが、作家の方のエッセイを読んだ話。
出征する兵士に、寅年生まれの処女の下の毛をお守りに持たせてやると、きっと生きて戻ってくる、と言う話がどこからか出たそうです。
下町で近所に住んでいた、美人の娘さんの所には、連日それを求める方が訪れたそうです。
子供心にも、いくらなんでもそんなにあげちゃったら毛が無くなるだろう、もしかして、母親が代わりにやってるのかな、と思っていたそうです。
そしてある日、その家に飼われていた黒犬の腹の毛が、無くなっているのを発見したそうです。
私の父は大正15年生まれ、1926年の寅年で、終戦の年には19歳でした。
その娘さんも同い年、生きていれば父と同じ84歳、もう時効ですよね。
でもその御一家は、東京大空襲の際に、犬も死んでしまったそうです。
戦争の無い平和な日本を望みます。
ゆうたくんちのいばりいぬ・ゆうたはともだち (あかね書房の大型絵本)
著者:きたやま ようこ
販売元:あかね書房
発売日:2007-07
クチコミを見る
出征する兵士に、寅年生まれの処女の下の毛をお守りに持たせてやると、きっと生きて戻ってくる、と言う話がどこからか出たそうです。
下町で近所に住んでいた、美人の娘さんの所には、連日それを求める方が訪れたそうです。
子供心にも、いくらなんでもそんなにあげちゃったら毛が無くなるだろう、もしかして、母親が代わりにやってるのかな、と思っていたそうです。
そしてある日、その家に飼われていた黒犬の腹の毛が、無くなっているのを発見したそうです。
私の父は大正15年生まれ、1926年の寅年で、終戦の年には19歳でした。
その娘さんも同い年、生きていれば父と同じ84歳、もう時効ですよね。
でもその御一家は、東京大空襲の際に、犬も死んでしまったそうです。
戦争の無い平和な日本を望みます。
ゆうたくんちのいばりいぬ・ゆうたはともだち (あかね書房の大型絵本)
著者:きたやま ようこ
販売元:あかね書房
発売日:2007-07
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2010年08月13日
終戦記念日に思うこと
私に短刀術を教えてくれた方は、中国戦線で馬賊をやっていたそうです。
逃げる中国軍を、日本軍が馬で追いかけていく。
ところが中国大陸は広く、相手は追いかけても追いかけても、どこまでも逃げていく。
追いかけるのに疲れて止まると、逆に中国軍が攻めてくる。
打ち合いになると、馬を横倒しにして楯にして鉄砲を打つ。
いくら鉄砲を打っても、打っても、当たっても、次々と農民兵が攻めてくる。
野良着に笠をかぶった、まったく同じ姿の農民兵がいくらでも出てくる。
中国人は死なないのかと錯覚し、頭がおかしくなるくらい。
あんなに恐ろしいと思ったことはなかったと語っていました。
まさに三歩前進、二歩後退という状況だったのに、その時の日本の新聞は、「日本軍破竹の勢い」と書いてあった。
日本の新聞の言うことは嘘ばっかりだった。
その後、南方へ戦線が移動し、ジャングルの白兵戦になっていくのですが、
この方も生きていれば90才ぐらいでしょうか、戦争のない日本が続く事を願います。
逃げる中国軍を、日本軍が馬で追いかけていく。
ところが中国大陸は広く、相手は追いかけても追いかけても、どこまでも逃げていく。
追いかけるのに疲れて止まると、逆に中国軍が攻めてくる。
打ち合いになると、馬を横倒しにして楯にして鉄砲を打つ。
いくら鉄砲を打っても、打っても、当たっても、次々と農民兵が攻めてくる。
野良着に笠をかぶった、まったく同じ姿の農民兵がいくらでも出てくる。
中国人は死なないのかと錯覚し、頭がおかしくなるくらい。
あんなに恐ろしいと思ったことはなかったと語っていました。
まさに三歩前進、二歩後退という状況だったのに、その時の日本の新聞は、「日本軍破竹の勢い」と書いてあった。
日本の新聞の言うことは嘘ばっかりだった。
その後、南方へ戦線が移動し、ジャングルの白兵戦になっていくのですが、
この方も生きていれば90才ぐらいでしょうか、戦争のない日本が続く事を願います。